脳梗塞で入院

このような経緯があって、今の医学レベルでは一二〇歳までが肉体、特に脳の限界だといわれています。不老不死はやはり現代の医学レベルでは無理ですので、なるべく遅く老いて遅くに死ぬ、これを目標にしたいものです。そして私は、この考え方を『遅老遅死』と命名いたしました。不老不死に対して遅老遅死。遅老遅死は十分な知識と意志さえあれば、誰にでも実践できるものです。この本は皆さんとともに遅老遅死を目標として頑張るために、いろいろな医学的、科学的なデータを交えながら書いていきたいと思います。私は患者さんに「おかげさまで良くなりました」と言われるのが、本当に大好きです。しかし、医師として私が診療できる患者さんの数にはどうしても限りがあります。ですからこの本を読んでいただいた全国の皆さんに、「遅老遅死やっています」と喜んでいただけたらどんなに幸せだろうと思います。「セコムしてますか」と、にこやかに話されていた私の憧れのスーパースター、長嶋茂雄さんが今年三月、脳梗塞で入院されました。とてもショッキングな出来事でしたが、幸いにも経過は良いようですね。私はすっかり元気になったミスターに「遅老遅死してますか」と言ってもらえることを夢見ています。北京オリンピツクではミスターの来配で今度こそ金メダルを取ってください(その前に野球の開催が微妙だそうな)。

 

失礼しました(笑)、遅老遅死の話を進めましょう。日本人の最高齢は一九八六年に一二〇歳で亡くなられた徳之島の泉重千代さんです。泉さんは一人六五年(慶応元年)に父・為源、母。つるかめ(この母上の名前だけでも長生きの予感がしますね)の長男として生まれました。一人七二年(明治五年)重千代さんが七歳のとき、戸籍法が制定され、祖父勝澄さんの養子として入籍されました。生後半年のうちに両親を相次いで失い、重千代さんは叔父に育てられました。 一九〇四年(明治三七年)には三九歳で生涯連れ添った妻。みやさんと結婚されています。新婚旅行は結婚から五年後に沖縄へ帆掛け船で行ったそうです。

 

 

一九五六年(昭和三一年)九一歳で妻みやさんが死去されました。 一九六六年(昭和四一年)には鹿児島大学医学部第一内科の福田正臣助教授が、重千代さんを含む一〇〇歳以上の日本人高齢者一五人を診察しています。それによると、「一〇〇歳を過ぎても自分で針の穴に糸を通すことができる。胃腸はすこぶる丈夫で、日も耳も達者。歯はなくなっているが、ごはんも肉もよく食べる。おかゆは嫌いだそうだ」と、記録が残されています(ちなみに福田助教授は重千代さんの年齢を疑問視していましたが、確証のある主張ではありませんでした)。その後、重千代さんは一二〇歳で、二度目の還暦にあたる「大還暦」を迎え、さらに二三七日を過ごした一九八六年(昭和五一年)二月二一日に一二〇歳の生涯をまっとうされました。