アジアに目を向ける

さて、再び不老不死の歴史です。アジアに目を向けると、有名なのは今から二二〇〇年ほど前の中国で活躍した秦の始皇帝です。中国大陸の膨大な国土を統一した最初の皇帝である始皇帝は、中央集権主義の法治国家を築き、万里の長城を将軍。蒙悟に建設させるなど数々の革新的な偉業を成し遂げました。しかし、晩年の始皇帝は自らの死を恐れ、あやしげな不老不死の思想に傾倒していきます。始皇帝はどうしても不老不死の霊薬が欲しくなったとみえて、世界中に使者を送っています。司馬遷の『史記』秦始皇本紀によると、ある日皇帝の前に徐福(徐市)と名乗る方士が現れ、「海の彼方に蓬莱山という山があり、そこには仙人がいて、その人が不老不死の妙薬を持っているので童男童女を供にして取りにいかせてください」と、持ちかけたとあります。秦の始皇帝はよほどその話を信じてしまったらしく、早速徐福に巨額のお金と望みどおりの従者を与えて出かけさせたのです。ところが九年後に、徐福は何も持たずに帰ってきます。しかもその理由は、「大きな鮫が邪魔をしている。それに、皇帝の礼が薄いので海の神様が霊薬をくださらない。本当に霊薬が欲しいのならば、良家の童男童女や技術者たちが必要です」と言うのです。

 

こんな話は明らかに眉唾だと思うのですが、秦の始皇帝は再び「コロっと」蝙されてしまいます。それでは今度こそ見つけるまで戻ってくるな、とはっぱをかけられて、再び徐福は旅に出ます。東海に出た徐福は「平原広沢」という土地を目指したといわれています。この土地とは日本のことだった、という説が、中国にも日本にも多く伝えられています。当時の日本は弥生時代の初期で農耕が始まった頃でしたが、金銀・財宝とともに「五穀」を満載した船団を指揮していたという徐福は、もしかすると日本に稲作をもたらしたのではないか、とまでいわれています(私は信じていませんが)。この徐福伝説が和歌山県の新宮市など日本の各地に残っています。富士山にも徐福がやってきたという伝説(今の富士吉田市)があり、不死の山が転じて富士山になったともいわれています。蓬莱山とは富士山のことだ、というわけです。日本に定住したといわれる徐福は、『今昔物語』『平家物語』『太平記』などにも登場しています。

 

 

日本だけではなく、中国全土はおろかベトナムまで不老不死の妙薬を求めて莫大な資金と労力をかけて使者を送っていた晩年の秦の始皇帝のまわりには、徐福をはじめさまざまな方や道士がやってきたといいます。 一捜千金を夢見て差し出された「自称・不老不死の薬」の中には、水銀やヒ素などの猛毒も含まれていたと伝えられています。結果的に、始皇帝は不老不死を求めすぎたあまりに余命を縮めてしまったのかもしれません。後の世には、この頃の始皇帝の愚かさを嘲笑する詩が読まれています。