大きな見返り

永遠の若さと永遠の命、それが不老不死です。不老不死は、古来から続く終わりなき永遠の夢として人々を惹きつけてやみません。歴史的な人物、権力者たち、呪術者や錬金術師たちが不老不死を求めた話は、今の世に数限りなく伝承されています。そしてなお、現代においても、空想小説やSFの世界に限らず、医学?生物学という科学の営みの中で「人、そして生き物はなぜ死ぬのか」であるとか「我々はなぜ老いるのか」というテーマにもとづく研究が続いています。それでは、人はなぜ不老不死を求めるのでしょう?裏を返せば、人にはみんな限られた寿命があって、歳をとれば誰でも必ず老いて衰えていきます。生きるということはつまり「若さを日々失い続けること」にほかなりません。若さを「物理的に、物質的に」失わないための方法論が不老不死なのです。以前見た映画に『ハイ。ランダー』という不死人(首を切られない限り死なない戦士)を扱った物語がありました。不死のハイ。ランダーは永遠に近い時間の中で巨万の蓄えを持つに至ります。なるほど時間が無限にあるのなら、そんなことも可能かもしれません。しかし一方で、この映画では不死であるがために訪れる、不死ではない恋人や友人たちとの別れも痛切に描かれていました。人は単に不老不死になっても、幸せにはなれないのかもしれません。人生、 一分一秒この瞬間を大切に「よ―く考えよう。お金は大事だよ」というフレーズが流行っていますね。

 

確かにお金は大事です。しかし、そんなお金でさえ命あってこそ活かすことができるものです。さらに、お金で命を買うことはできません。また、お金というのは不平等なもので、持っている人のところへ集まっていく性質があるようです。資本家は、大きな投資に見合う大きな見返りを期待できるのに対して、なけなしのお金をはたいて脱サラを試みても、資不足が仇になってなかなか日の目を見ない人も(能力にかかわらず)いらつしゃるのが現実です。

 

 

しかし、死というのは平等で誰のところへもやってきます。ある方に言わせれば「人生お一人様一回限り」なのです。死を避けることはできません。これを言い換えると、人の一生は生まれてから「毎日、死に向かって歩いていく日々」だと言えます。知らず知らずのうちに、私たちはそれを知り、自覚しているのでしょう。だからこそ、 一分一秒この瞬間を大切にしたい、と私たちは願うのではないでしょうか。